Brain Waves Wanderers 0
平和な村は、一瞬で地獄と化した。
おぞましい触手の塊にいくつもの人間の骸骨が埋め込まれ、醜く不気味な唸り声を上げ続ける怪物…動く死骸、魔骸の群れが猛威をふるい、人々は次々と虐殺されていった。
その腐った触手に押し潰され、恐ろしい断末魔の悲鳴をあげた老婆は、数秒の内に魔骸の中に取り込まれ、骨だけの姿となって自らを殺した怪物と一体化し、昨日まで仲良く過ごしていた他の村人を殺すために動き始めた。
こうしてまた一歩、人類は絶滅へと近づいたのである。
帝国歴1296年3月、大陸の東端、アマニの街。
かろうじて魔骸の襲撃を逃れている数少ない街の一つ。
みすぼらしい身なりをした赤髪に褐色の肌をした男が、街道をゆっくりと歩いていた。
男はターバンのように頭を布で覆っている。
広場には旅の芸人一座が舞台を開き、人々を集め、手品や音楽を披露して拍手喝采を浴びていた。
クリーム色の長髪を無造作にまとめた元気な少女が、はつらつとした笑顔で軽快なステップを踏みながら、逆さにした羽帽子を差し出して人々からおひねりを集める。一座の踊り子、ウズメだ。
通りがかったさきほどの赤髪に帽子を差し出すが、男はこばむ。
「すまない…」
少女は一瞬凝固したが、再び満面の笑顔に戻って他の客に愛想を振りまいた。
「ウズメ、今日の取り分だ」「わーい」「ほれ」「……」
銅貨数枚。ウズメは肩を落とし、夕暮れの街をとぼとぼと歩く。
ふと、道端にあの赤髪の男がうずくまっている姿を見つけた。
「あんた…大丈夫かい?」
「…ああ…生きている…」
「職にあぶれてんのかい?」
だが、ウズメは彼が腰に下げている長剣に目をやった。
「…いや、剣士か!でも今は、魔骸に手一杯で国同士の争いなんてほとんどないはず…。んん?そういや、数日前に北西の村が魔骸に滅ぼされたって聞いたよ…あんたまさか、魔骸狩り!?」
ウズメの全身から血の気が引いた。
一度魔骸の群れに襲われたら、その残虐な猛威に対峙して生き延びる者はまずいない。どれだけ屈強な歴戦の勇士であろうと、まず一瞬で殺される。
魔骸を狩ることができる力を持つ者などごくわずかだ。
「あんたまさか…その耳、見せてみなよ」
男の頭の布を上げると、その耳は奇妙にとがっていた。
「波動者…ほんとにいたんだ…」
人類を殺戮する魔骸は、波動と呼ばれる生物の脳波を利用して動く科学兵器の一種だ。
この時代の主な科学は、その波動の力を動力源としていた。
百年前、最悪の兵器が誕生した。「波動爆弾」である。
その威力は国さえも一瞬でほろぼすほどであり、爆発によって拡散される波動がいわば放射能のように人体を貫通し、外からも内からも細胞を破壊。生き残った者にも深刻な後遺症を残す。
その結果、波動爆弾を胎内被曝した者の内、数万分の一の確率で、自らの脳から脳波が体外に不規則・無差別に広がってしまう人間が生まれたのである。それが「波動者」であった。彼らの耳は、なぜか独特の上端がとがった形状をしており、世界にわずか数人しかいないという。
広がってしまった波動は物質を貫通し、周囲の生物の脳内の視床下部に奇妙な投影現象を起こして消える。ただ、有害な波動爆弾とは異なり、投影がどれだけ起こってもすり抜けられた側に変化はなく通常の生物のままである。
そして、波動者の拡散する脳波にはまた別に奇妙な効果があった。予想できない動きで人類を攻撃する魔骸が、波動者の波動範囲内では極めて規則的に、集団で同じ行動をとるのである。魔骸の動きが予測できれば、魔骸を狩ることが通常よりはるかに容易になる。
そのため、魔骸を狩って報酬を得る「魔骸狩り」になって生き延びることができのは、実質波動者のみに限られていた。
「けどさあ…」ウズメは首をかしげる。
「魔骸狩りっていやあ、どの国も放ってはおかないよ。今この世界に残ってる7つの国には、直属の魔骸狩りが一人ずついて国を守ってるって。命がけとはいえ、そりゃあ贅沢な暮らしができるはずだ。お宝に囲まれてさあ…」赤みを帯びた頬をより一層赤らめて、うっとりとした表情になるウズメ。「なのに、なんであんた、そんなボロボロでこんなとこうろついてんのさ」
「……」シャウラはおし黙った。ウズメは一瞬、彼の目の奥に深淵のように暗く深い憎しみを感じたような気がしてぞっとした。
「私は…人間が嫌いなんだ…。人に囲まれて一か所にじっとしていることはできない…。」
「……」
「それに、旅が好きだ。美しい景色が見たい。山や海や、砂漠。移り変わる風景を見ていると幸せになれる。」
「それで、行く先々で魔骸を狩ってるってことか。そんな単発じゃあ、もうかんないよね。ウチの一座もそうさ…。金が欲しい…うー、金が欲しいっ」
「…こんなことを言うのはなんだが、お前は若い女だ。最近では、身を売る女などどこにでも掃いて捨てるほど転がっている。金がほしければそうするのではないか。」
ウズメはそのあまりにも淡々とした語り口から、シャウラがどれだけ人間というものを冷めきった目で見ているかを感じ取った。
「あのねえ、あんたがこれまでどんな女を見てきたか知らないけどね、そんなんばっかりじゃないよ。そもそも、あたしには夢があるんだ。王宮の踊り子になって、あたしよりちょっとだけ年上の細身の美しい王子様に見初められてお妃になる!って夢がね。それまでは男なんて…」
ウズメは、はっとした。だが、シャウラはやはり表情をピクリとも変えない。
「…うん。あんたがどんなやつか、大体わかった気がする…。」しらじらとした気分になるウズメ。一方で、この男はある意味ではすごく信用できる、とも思った。
その時、街がにわかに騒がしくなった。
「逃げろーッ、魔骸だあああ…」「キャアアアア」「ヒイイ」
遠くに、一匹の魔骸がウネウネとうごめき、こちらに向かっていた。
ウズメは真っ青になった。「はぐれ魔骸!」
魔骸はその習性として、基本的に団体行動しかできない。だが、まれに群れから離れて動くはぐれ魔骸がいた。
躊躇なく剣を抜き魔骸に向かって走り出すシャウラ。
「!」ウズメは驚嘆しながら、それでもその行動に強い頼もしさを感じ、距離をあけ隠れながらもその後を追った。
街の入り口にある門は破壊され、あたりにはすでに数体の無残に切り刻まれ、あるいは押し潰された死体が転がっていた。ゆがんだ苦悶の表情を浮かべる一つ一つの亡骸を、むさぼるように触手で絡めとって食べ、取り込む魔骸。
シャウラがそこに後ろから近づき、触手を切る。
「ぶがああ」
耳をふさぎたくなるような不快なうめき声をあげて振り返る魔骸。同時に何本もの触手をムチのようにしならせてシャウラを叩き潰しにかかる。
軽快にそれをかわし、あるいは剣で止め、切り落としていくシャウラ。
ウズメは街から街へ移動する中で、何人かの剣士の戦いを見たことがあったが、彼の動きはその中でも群を抜いていた。
一方で舞踏を職業としているため、シャウラのステップは一定のリズムに保たれていることに気が付いた。というよりも、魔骸の動きがあまりにもワンパターンなのだ。
(昔見た魔骸と違う…そうか、これが話に聞く波動者の力…)
魔骸は、波動者が近づくと一定の動きしかできなくなる。
シャウラは魔骸の触手を一本ずつ切り落としていき、ついにすべての触手が失われた。
地面にうちはらわれた触手は、それでも少しの間ビチビチとはねていたが、やがて動きを止めた。
このはぐれ魔骸には人間の骸骨が十体分ほど埋め込まれていたが、その口が嘔吐のようにドロドロの液体を吐き出しはじめた。
「ううっ」そのあまりの醜さ、汚らしさに思わず目をそむけるウズメ。
だが、シャウラはその嘔吐にさえ一定のパターンを読み切っているようで、全てかわしては頭蓋骨を切り落としていった。そしてすべての頭蓋骨を落とすと、最後に魔骸に足をかけて登りその頂点に立ち、その中央から脳のような塊をえぐり取った。
その瞬間、魔骸は動きを止めた。
「おおおっ」周囲から歓声があがる。
「すっご…」ウズメも思わず感嘆する。
やがて、一人の整った身なりをした初老の男がシャウラに近づき、うやうやしく一礼した。
「私はこの街の町長です。このたびは街をお救いいただき、誠にありがとうございました。いえ、感謝してもしきれません。これは、ささやかなお礼です。」
おそらく金貨が詰め込まれているであろう、ずっしりと重い袋をシャウラに手渡す町長。「ありがたい」シャウラは一切こばまず、それを受け取った。
「あああ…いーなー…」ウズメはつばを飲み込む。
「よろしければお名前を。」「私はシャウル・ラー。通り名はシャウラ」「おお…あなたが波動者のシャウラ様。お噂はかねがねうかがっておりました。いかがでしょうか。この街におとどまりいただき、街を守っていただくわけには…?屋敷と従僕を用意し、礼を尽くさせていただきます。」
「ありがたい申し出だが、お受けできない。私には行く先がある。」
その暗い表情には固い決意があふれていた。
「残念です…お気が変わればいつでもどうぞ。」
町長は再び頭を下げた。
シャウラは踵を返し、去っていった。
その姿には近寄りがたい何かがあった。
シャウラは街を出た。
その後を、一人の少女が追ってきた。ウズメだ。
「待ってくれよ」「?」
「行先が…あるんだって…?どこだい?」
「…魔骸を生み出した組織。それを見つけ出し、魔骸を完全に滅ぼす方法を見つける」
「そんなの…どこの国でもやってきたことだろ?できるわけない」
「できるかできないかではない。私がそうしたいからそうする。」
「……」ウズメはあきれ、だがなぜか嬉しくなった。今まで出会った誰もが、魔骸の脅威に対して諦めきっていた。自分たち人類は、魔骸からただ身を守り、逃げ、最後には殺されるしかない存在だと悟りきっていた。しかし、この男は違う。
決意だけではなく、戦う力も示した。
一方で、とてつもない不器用さも感じ取った。こんな根無し草のような生活をしながら転々とし、戦い続けていたら、もし魔骸には殺されなかったとしてもそうそう長生きはできないだろう。でも…。
「面白そう。今まであたしは、魔骸にビクビクしながら踊って日銭を稼いでたんだ。でもあんたと一緒なら、もう魔骸を怖がらなくてもいいんだ。一緒に旅がしたい。」
「なんだと?……王子様はどうした?」驚くシャウラ。
「もちろん王子様とは出会いたいよ。けどそんなのがなかなかうまくいかないことも知ってる。…昔の友達がね、貴族の息子と結婚したんだ。ところが、そいつは何人も女を囲っててさ。全然愛されてなかった。しかも、年をとった女は追い出される。結局そんなもんなんだ。男なんて大体そんなもんなんだよ…。」
「………。そうかもな。私も金があれば、そうなっていたかも知れない。」
「そうかな?」悲しげにほほえむウズメ。
「けどさ、あんたには他と違う何かがある気がする。あんたが嫌がることはしないよ。あたしも旅をして、新しい広い世界が見たいんだ。」
「私は、基本的に人間が嫌いだ。
生まれてから17年間もの間、ずっとだまされていた。
波動者であることを伏せられていたんだ。
しかもそれを勝手に様々な形で戯画化されていた。死んでも許せん。
私はそういう人間だ。」
「……そんな…それはひどいね…。」「私は誰も信じない。それでもいいのか?」
ウズメには、そんな生い立ちは全く想像できなかった。
貧しさのために苦労はしてきたが、そこまで無情な経験をさせられたことはなかった。
「じゃあ、あたしが少しでもあんたの旅を楽しくしたげる。あたしは、踊り子なんだ」
「………。変わった女だ。いつまでもつかはわからんが、好きにしろ。」
「あのさあ、喜べよ!こんな若くてかわいい女子がさあ…。もうすでにムカついてきた!どーしよっかな、やめよっかな…」
かまわずに歩きだすシャウラ。
ウズメはブツブツと不満を言いながらその後を追う。彼女は、シャウラが信頼に足る男だと感じていた。一方で、底の見えない暗い怒りや憎しみを抱えて生きていることも。最後には破滅が待っているのかも知れない。それはすぐに訪れて、この男は死んでしまうのかも知れない。
だが、魔骸のように個性のない死骸となって生きることも、魔骸を恐れて生きることももう嫌だった。戦いの中でも、自分の意思を持って生きていきたい。ウズメは漠然とそう思っていた。